ある女性の物語〜子育てってこういうことかもしれません。
ある女性の物語〜子育てってこういうことかもしれません。
今日はある女性の物語です。
ある小さな田舎町にその女性は生まれました。
その女の子が生まれる前に、2回の流産があり、その女の子が生まれる半年前からお母さんは病院に入院しました。
毎日、仕事の合間を縫ってはお父さんはお見舞いにいきました。
今回もダメかもしれない。
でも、ここは病院だから何かあっても大丈夫。
そんな思いで半年を過ごし、帝王切開でその女性はこの世に生を受けます。
両親のほかに、その家にはおじいちゃんもおばあちゃんもいて、
両親は仕事で忙しいので、おばあちゃんがその子を育てました。
だけど、その子のお母さんは本当は仕事よりも、そのお子さんを一生懸命育てたかったのです。
おばあちゃんが、ミルク、おむつ、寝かしつけ。
すべてしてしまうので、お母さんはさみしく思っていました。
そんなお母さんの思いも知らず、女の子はすくすくと育ちました。
おばあちゃんが煮てくれるサツマイモをおやつにして、
ひとりで勝手に遊ぶ、親にとっては育てやすいお子さんでした。
習いたいことも、
やりたいことも、
遊んでくる日も、
全部全部ひとりで決められる賢い子でした。
両親は共働きで、土日もあまり関係ない職場。
女の子はあまり旅行や遊びには連れて行ってもらえませんでした。
ただ、たくさんの愛情を受けて育ったことは確かで、ほかの家との違いは考えないようにしました。
女の子は大きくなり、地元の高校へ通い、大学は一人暮らしで田舎から市内に出ました。
そこである男性に出会い、付き合うことになります。
その男性はあまり甲斐性がなく、一度、就職しては、フリーターになり、そして、また就職しいよいよ結婚か?
というときに、その男性の父親が亡くなり、結婚がのびのびになってしまいました。
付き合い始めて10年。
そろそろ限界だと感じ始めていた女性に対して、男性は「結婚しようか?」と言いました。
女性の両親はとても喜び、結婚式の費用も、2人が住む家の頭金も、引っ越し代も出してくれました。
相手の男は、女の家に頭が上がらず、いつも遊びに行くときは緊張していました。
結婚し、しばらくして、女性は妊娠しました。
母親のことがあったので、最初は警戒していましたが、妊娠は驚くほど順調でした。
ですが、もうすぐ30週というところで、
女性は切迫早産と診断され、入院することになりました。
絶対安静を言い渡され、お風呂も許されませんでした。
赤ちゃんが上に上がったら、お風呂に行こうね。
なんども看護師さんや助産師さんに励まされましたが、一度もお風呂に行くことはありませんでした。
なんとか37週まで持ちこたえ、退院した翌日の朝、陣痛。
救急車で運ばれ、無事に出産。
出産は無事でしたが、子宮からの血がとまらず、分娩室に待機。
その時間は結局、12時間にもなり、その間赤ちゃんを抱くことも見ることもできませんでした。
その間、男性が赤ちゃんを見ていました。
分娩室に戻ってきた男性に、女性は聞きました。
赤ちゃんは女の子です。
「どんな顔だった?」
男性は答えます。
「朝青龍みたいだった。」
男性は女性の子どものころの顔を写真で見ており、お相撲さんそっくりだったことを知っていました。
そんな女性が中学に上がるころにはかわいい顔になっていったのを知っていたので、朝青龍と言ったのでした。
でも、女性の長い入院生活と大変なお産を一緒に経験した助産師さんは、
「赤ちゃんは女の子なんですよ!なんてことを言うんですか!」
とその男性を叱りました。
男性は凹みました。
寝たきりの入院での体力低下。
出産での血の流れすぎ。
これが要因でしょう。
女性は赤ちゃんと一緒に病院を退院した1週間後、身体の震えが止まらず、自分を叩くようになりました。
自分を叩かないと赤ちゃんを叩きそうだからです。
産後うつでしたが、出産後すぐだったので、その確定診断がおりませんでした。
赤ちゃんを出産した病院の先生たちがしばらく赤ちゃんを預かるので、女性に家で静養するに言いました。
しかし、そこで待ったをかけたのが行政でした。
女性が赤ちゃんを産んだ市は、子育てのしやすさで有名でした。
それがあだとなりました。
赤ちゃんをたとえ病院であっても民間の施設に長期に預けることは、育児放棄とみなされ、
子どもを行政に取られてしまうというのです。
ここは大変でしたが、話し合いの末、赤ちゃんを病院に預け、
女性は田舎の実家で静養という形になりました。
女性は最後まで実家に帰ることを拒みました。
「帰っても意味がない」と言い張りました。
お父さんもお母さんも何もしてくれないからと。
女性ははじめて子ども時代のさみしさと親への反発の心を吐き出しました。
そして、同じように女性のお母さんも自分のさみしさを吐き出しました。
もっと、あなたを抱きしめたかった。
もっと、赤ちゃんのあなたの成長を一緒に楽しみたかった。
もっと、あなたの隣で楽しみも悲しさも味わいたかった。
でも、それをおばあちゃんが全部取ってしまった。
だから、あなたの楽しみを取らないように、あなたと距離をあけてしまった、と。
女性は実家に帰り、静養することになりました。
赤ちゃんと離れ、また、切迫早産の入院のように24時間点滴もないので、
ぐっすり眠ることができ、元気を取り戻すことができました。
1か月後、市の保健士さんと病院と男性と女性とで話し合い、
赤ちゃんを引き取り、実家でしばらく育てることになりました。
女性はもう実家に帰ることを嫌がりませんでした。
女性のお母さんと一緒に、その女の子の赤ちゃんを育てることに決めました。
女性は男性と付き合っていたときも、実家に帰るのを極端に嫌がっていました。
せっかく年末年始やお盆休みに帰っても一泊二日でした。
実家に帰っても楽しくない。
これが口癖でした。
ですが、子どもができて、お母さんと一緒に子どもを育てることが楽しくて仕方がないに変わりました。
赤ちゃんが目で人を追うようになったこと。
泣き声に違いが出るようになったこと。
しっかりミルクを飲めるようになったこと。
1つ1つお母さんと喜べたそうです。
そして、お母さんもまた、女性のときにできなかった子育てを一緒にできて嬉しかったそうです。
もしも、産前産後が順調であれば、帰省するなんてことはありませんでした。
帰省したくないから、女性はこの市を選んだのです。
しかし、結果的に、帰省することになりました。
ただ、私には、赤ちゃんが女性とお母さんとの長い間のわだかまりや後悔を洗い流すきっかけをくれたように思えて仕方ありません。
もうわかっている方もたくさんいると思いますが、この女性が私の妻です。
だいぶはしょりましたが、
赤ちゃんが生まれて、私の妻とお母さんの仲は明らかに変わりました。
自分のこうした経験からも、塾の講師としての経験からも、
お子さんのいろんな問題はただの問題っていうだけじゃなくて、そこにはギフトが隠れているんじゃないかな。
なんて思うようになりました。
まあ、子どものことはいろいろあるので、全部が全部そんなふうに思えないとは思いますが。
子どもが私たちにくれる問題にはこういう一面があることは忘れないでいたいですね。
後日。
女性はあまりに実家での子育てが楽しくなり、男性にこう言いました。
しばらくこっちにいるから、あんたは一人で生活しといて。
と。
男性は仕方なく、1人の時間で、ホライゾンゼロドーンとイース8をクリアしましたとさ。
ではでは。
過去、私のブログ&メルマガで掲載したものです。







