NHKドラマ『透明なゆりかご』第1回「命のかけら」の感想
NHKドラマ『透明なゆりかご』第1回「命のかけら」の感想
主人公のアオイさんを演じる清原果耶さんの演技に、
驚いた、というのが最初の感想でした。
発達障害を持つ女の子を、繊細に、そして、非常に上手く演じています。
私は、原作も読んでいるんですが、
沖田×華さんの原作には、人の命を見つめる「優しさ」がそこに流れているように思うんです。
その原作に流れる「優しさ」が、このドラマにもありました。
主人公のアオイさんは、
産婦人科でバイトする高校生。
そのバイトの初日、いきなり遅刻するところから始まります。
遅刻の理由は、セミが脱皮するのを見ていたから。
女子高生が、セミの脱皮を見ていて遅刻。
普通はあり得ませんよね。
こういうところに、アオイさんの発達障害の伏線がはられていて、
そのエピソードを聞いたお母さん(酒井若菜さん)の表情も、
彼女の発達障害のことを示唆します。
遅刻したアオイさんは、
出産直前の妊婦さんに出会います。
妊婦さんは、出産後、一度、姿をくらまします。
ですが、不倫相手と戻ってきて、もめて、相手に捨てられます。
ですが、赤ちゃんを見て、その子と生きていこうとします。
ケンタ君と名付けられた男の子と、その妊婦は産婦人科をあとにします。
アオイさんに、一ヶ月検診で会おうと約束をして。
その約束は守られることはありませんでした。
ケンタ君は、理由はわかりませんが、
一ヶ月検診を待たずに、亡くなってしまいます。
新聞には、授乳中の事故、とあったそうです。
アオイさんが働く病院では、「虐待」かもしれないとみんなが言う中、
アオイさんだけは、お母さんの愛情に包まれながら、授乳中に亡くなってしまうイメージを描きます。
産婦人科という場所が、
生まれる命だけではなく、消えていく命を見送る場所だと強烈に印象付ける話です。
私は、発達障害というものをきちんと勉強して、
このサイトを立ち上げて、向き合い始めて2年になります。
教育大学にいたころから数えれば、
教育の現場には、15年ほどいます。
だから、沖田×華さんがこの原作で言う、「消えていく命にも意味がある」というのは、
私は本当だと思うんです。
今回の話で、ケンタ君は残念ながら亡くなってしまいます。
でも、お母さんを、何年も不倫の関係でつなぎとめようとする最低の男と別れるきっかけをくれました。
私は、発達障害で悩むご家族をずっと見てきて、
こんな風に、思うようになりました。
その発達障害には意味がある、と。
親が子どもを守る。
これ、普通のことのように私たちは受け入れていますが、
戦後、まだ、間もないころは、親のために丁稚奉公する子どもって、珍しくなかったわけで、
高度経済成長を経て、安定した一家が増えて、普通に、親が子どもを守るっていう考えになってきたんですよね。
私は思うんです。
実は、その子は、親を守るためにやってきてくれたんじゃないかと。
最近、私にも娘が生まれ、
そして、妻が意識しているのか、無意識なのか言うんです。
娘に向かって、
「ありがとう」って。
このドラマをたくさんの人に見てほしいっていうのと同時に、
消えていく命にも意味はあって、
生きている命も、どんな命であっても、
子どもは親を守るためにやってきてくれたのかな、と。
そんな考え方も、言葉じゃなくて、
心の奥のほうで、感じてくれたらな、とか偉そうなことを思ったりします。
私は、このドラマを、
もう一度、見直しています。
アオイさんの初バイトをお祝いするお母さんのシーンがあるんですが、
くす玉まで用意して、本当に楽しそうです。
時折見せるアオイさんの他の子とは違う行動に戸惑いながらも、
日々、成長していく娘の姿をほんとうにうれしく思っている。
そんな風に見えました。
NHKドラマ「透明なゆりかご」は、
第一回から、「命のかけら」として、
人工中絶、そして、授乳中の事故で亡くなってしまう赤ちゃんを取り上げます。
中絶手術のあと、赤ちゃんは、小さな容器に入れられ、
郵便局員に、あっさりと引き取られていく。
そんな衝撃的な、そして、悲しいシーンがちりばめられているんですが、
その命は、決して、無意味なものではない。
そんな「優しさ」を感じるんです。
上手く言えないけれど、
お子さんがあなたのところにいる。
それには意味があると思うんです。
そのことを気づかせてくれる、そんなドラマだと思いました。