頑張り方を間違えないこと〜発達障害の治療の肝心なところはそこじゃないんです。
発達障害者のがんばるところはそこじゃないと周りの人に知ってほしいこと
発達障害者と診断された方が、
頑張らないといけないことはなんでしょうか?
どうも、頑張るという言葉には、
嫌なことでも、石のように我慢して、
耐えに耐える、というイメージがありませんか?
そんなものは、頑張る、ではありません。
自分が手に入れたい未来のために行動することを、
私は、頑張る、ということだと思っています。
発達障害と診断された子をお持ちの保護者の方は、
普通に学校に行ける子になるようにって頑張りますし、
発達障害と診断された本人も、
治療を続ければ、「普通の人」になれるという感覚でいます。
ですが、発達障害者が「普通の人」にはなれません。
これは、差別で言っているのではありません。
そもそも、みんな変なんです。
だから、なんとなく「社会の常識的に普通」なところを目指すと、不幸になります。
別に学校に行かなくたっていいじゃないですか。
別に「普通の会社」に行かなくたっていいじゃないですか。
別に変でもまわりに迷惑にならないならいいじゃないですか。
と、今の私は思います。
私の教室には、
発達障害で、引きこもりになり、学校に行っていない生徒が数人います。
塾に来るなり、[勉強嫌だな」っていう文句は言いますが、生きているのは楽しそうです。
今は、学校に行っていなくても、普通にその先もありますし、
無理はしなくていいんじゃない?と私は思ってしまいます。
のびのび勉強していますし、
平均点以上も取ってくるので、保護者さんたちも、今は、
学校に無理していかなくていいんだぁ。と、その子にあった成長の仕方でいいと認められています。
それから、私の親類に、
一流企業の営業マンから、鬱になり、
職業訓練の国の援助制度を受けて、とあるほかの一流会社の整備担当の仕事になり、
生き生き仕事をしています。
土日が仕事になるんですが、
残業はなく、休日もたっぷりあるので、今すごく楽しそうです。
その親類は、高卒ですが、
自分に合った資格をいくつか取り、自分に合った職場で働いています。
無理して、「普通」とされる道なんていかなくていいんです。
この2つの例は、
上手く国の支援制度を利用しているところです。
国に頼りきって助けてもらう一方ということではなくて、
国の支援制度を一時的に利用して、自分にマッチした生き方、仕事先を紹介してもらい、後は、そこで、頑張っているんです。
自分が知っている世界なんてちっぽけですよね。
あなたの親やまわりが提示できる世界にも限界があります。
それで十分って人もいますが、
少しだけ人の手を借りて、自分にマッチした世界を知る必要がある人もいます。
私はそれを「頑張る」と呼ぶんだと思います。
例えば、発達障害の方で、ルールを守って働くのが得意という人がいます。
同じルーティンで仕事をすると、「普通」の人は、作業効率が下がります。
飽きるからです。
で、楽しようと、手を抜いたりして、欠陥商品が生まれます。
それに対して、発達障害の方で、ルールは頑なに守りたい人の場合は、常にクオリティの高い商品を生み出せます。
そういう職場には、「普通」って言われる人よりも、
発達障害と診断された人のほうがいいですよね。
活躍できる場所で、活躍すればいいんです。
どんな人も。
こうしなきゃいけない。
みんなはこうしている。(と思い込んでいるだけですが)
そこに行こうとすると、本人もまわりもつらいだけです。
いいじゃないですか。
学校なんて。
普通の大学なんて。
普通の就職なんて。
そこへ無理せずいけるなら行って、
自分には無理そうだったら、まずは、自分に合った先をいくつかアドバイスしてもらう。
そのあとで、自分が周りの人に、職場の人に、貢献できるように頑張ればいいんです。
発達障害の改善とか治療っていうと、
すぐに、「普通」を目指す人がいますが、それは違うっていうことをここで書いておきます。
発達障害の治療のために頑張ることは、
【利用できるものは利用して、活躍できる場所を探す】ということなんです。