間違いではないが間違いを生みやすい発達障害の定義
間違いではないが間違いを生みやすい発達障害の定義
個人的には、
日本の発達障害というもののとらえ方の問題は、
定義に問題があるのかと思います。
国立障害者リハビリテーションセンターのサイトに、
各国の定義についてわかりやすく載っています。
日本の発達障害の定義はこうです。
「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」
(発達障害者支援法 第二条 第一項)
アメリカ合衆国:発達障害(Developmental Disabilities)
(A)通則 − “発達障害”とは、重篤で永続的な障害を意味するものであり、それは、
(@) 精神疾患または身体疾患、もしくは精神及び身体の併存疾患であり;
(A) 22歳以前に出現したものであり;
(B) 生涯に渡る可能性があり;
(C) 以下の主要な日常生活活動の3領域以上において相当の機能的制約をもたらし;
(I) セルフケア
(II) 言語理解と発話
(III) 学習
(IV) 移動
(V) 自己決定
(VI) 自立生活能力
(VII) 経済的自立
(D) 個人のニーズは、生涯もしくは長期にわたる個別に計画され調整された一連の特別なサービス、または多領域に渡るサービス、または一般的なサービス、または個別の支援、もしくはその他の支援の併用が必要である
(B)乳幼児及び子ども −
相当な発達の遅れもしくは、先天的または後天的異常がある0歳から9歳の子どもでサービスや支援がなければ、将来、上述の(A)(@)から(D) のような症状が表れる可能性がかなり高ければ、
上述の基準を3つ以上満たしていなくとも、発達障害があるとみなしてよい
【引用元】
http://www.rehab.go.jp/ddis/world/foreign/definition/
日本にははっきりと脳機能の障害とされていますが、
アメリカの場合、は日常生活においての困りごとにフォーカスされているのがわかります。
また、子どもにおいては、
社会生活の困難が認められる場合は、
発達障害があるとみなしてよいそうです。
日本の場合、
この脳機能の障害という言葉が独り歩きしてしまっているのかなと思います。
というのも、
日本の場合、脳機能の障害と定義はしていますが、
脳機能の障害だから治らないとは言っていません。
これは日本の厚労省のページを見ればわかります。
厚生労働省の政策レポートによりますと、
「発達障害は「先天的なハンディキャップなので、ずっと発達しない」のではなく、発達のしかたに生まれつき凸凹がある障害です。人間は、時代背景、その国の文化、社会状況、家庭環境、教育など、多様な外的要因に影響を受けながら、一生かけて発達していく生物であり、発達障害の人も同様であると考えていいでしょう。つまり、成長とともに改善されていく課題もあり、必ずしも不変的なハンディキャップとは言い切れないのです。もちろん個人差はありますが、「障害だから治らない」という先入観は、成長の可能性を狭めてしまいます。周囲が彼らの凸凹のある発達のしかたを理解しサポートすることにより、「ハンディキャップになるのを防ぐ可能性がある」という視点をもつことは重要です。」
【引用】
https://www.mhlw.go.jp/seisaku/17.html
こうすれば治るという指摘はありませんが、
治らないというのは誤解であると指摘し、
個人個人の差はありますが発達していくとしています。
このように見ていくと、
「脳機能の障害」という日本の記述が、
変な先入観などと相まって、発達障害への誤解として広がっていると思います。
日本精神神経学会も、
DSMやICDの訳に際してこのような指摘を行っています。
5.「障害」を「症」とする提案について
?ICD-11作成にあたっては,WHO主導の診断の体系,コード,診断ガイドラインの作成と並行して,国内では病名・用語変更の見直しも進んでいる5).長くdisorderは「障害」と訳されてきたが,これについては問題も多かった.まずはdisabilityもしばしば「障害」と訳されることによる混乱である.厳密には,WHOの作成する国際生活機能分類5)によれば,disabilityとは能力障害という概念であり,機能障害(impairment),社会的不利(handicap)と併せて用いられる.例えば弱視という状態そのものはimpairmentであり,それにより文字を読むうえで生じる困難はdisabilityで,文字から情報を得られないために生じる社会的不利がhandicap,というように各々の概念は整理される.本来であればdisabilityの訳語や使い方を見直し,または正確な意味の周知を試みるという選択肢もあったのかもしれないが,「障害」という語がもつネガティブな響きから,ICD-11日本語版作成にあたり,病名に含まれる(learning disorder,panic disorderなど)disorderの訳語を「症」にしようという提案が日本精神神経学会から2018年6月に出された.これに続き,同月にはパブリックコメントの募集が行われた.寄せられた回答の内容は,disabilityとの訳し分けを評価する声,disorderが「症」「疾患」「障害」と何通りにも文脈により訳し分けられる複雑さや一貫性の欠如に対する指摘,「障害」ではない一対一対応が可能な語の代替案(「不全症」など)の提案などさまざまであった
【引用】
https://journal.jspn.or.jp/Disp?style=ofull&vol=123&year=2021&mag=0&number=1&start=42
さらに、こういう指摘もあります。
さて,診断分類システムが普及することで生ずる懸念に,それがあたかも動かしがたい事実の集積であるかのような受け止め方をされてしまうという可能性が挙げられる.実際に,DSM-5の出版にあたり,DSM-5は教科書でも聖書でもない,常に変化の余地を残したliving documentであるということが使用者に対する警告として盛んにいわれた.この指摘はICD-11にもあてはまる.診断「基準」の表現を避けこそすれ(操作的診断基準を思わせる「基準」の表現をICD-11は一貫して避けており,代わりに診断ガイドライン,あるいは診断要件の表現を使用している),事実上の操作的診断基準といえる「診断に必須の特徴」項目が並ぶ様は,本来意図したものでない権威めいた影響力を得る可能性がある.つまり,小ぎれいにまとめられた診断基準は,今後の精神医学的理解の発展を阻む危険性も孕む.1992年以来の新たな診断分類システムの完成を歓迎しつつ,診断分類学のさらなる発展に向け批判的視点をもち利用する態度が望まれる.
診断基準が生まれ、それを用いて専門家が診断したとして、
それが「絶対」ではないということ。
その状態が続くかもしれない。
その診断がすべて絶対に正しい。
わけではないということなんです。
診断基準というのは、
将来にわたって困難に出会う人たちへのサポートをするためのものであって、
そのお子さん、その人の将来を確定させるものではないということです。
逆に言えば、
診断基準が世界的に普及されてしまうと、
診断やその時に行われるアドバイスやサポートが固定化してしまう、
もっといえば、決めつけや誤診が生まれていくという危険がある。
こういう指摘ではないかと個人的に思っています。
そしてこの危惧は現実的に起こっており、
発達障害は脳機能の障害だから治らないという誤解が日本では広く認識されてしまい、
それ以外の言説を許さない雰囲気があるように思います。
私たち大人のすべきところは、
こうに違いないとか、
こうあるべきとか。
そういう楽な考えに流されるのではなく、
しっかり世界との違い、
日本の専門家の方々の考えをしっかり見ていくことです。
心理士さんなど、
資格を持つ人々の中にも、
多くはこういうところを自分でしっかり学ばず、
自分の世界以外は認めない方が多くいます。
こういう方々が、
誤解を広めることを助けてしまった面はあるのではないでしょうか。
しっかりひとつひとつ学ぶことは大変なことですが、
逃げずにやっていきたいですね。
ひろあ